札幌地方裁判所 昭和49年(ワ)966号 判決 1976年7月30日
原告
海老晃農水株式会社
右代表者
中田寿昭
右訴訟代理人
伊東孝
被告
岩志一郎
同
岩志和子
右両名訴訟代理人
渡辺敏郎
外一名
主文
一 被告岩志一郎は原告に対し金五五〇万円およびこれに対する昭和四九年一〇月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告岩志和子に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告と被告岩志一郎との間では被告岩志一郎の負担とし、原告と被告岩志和子との間では原告の負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告両名は原告に対し連帯して金五五〇万円およびこれに対する昭和四九年一〇月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言
二、請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
第二 当事者の主張
〔請求原因〕
一、原告は訴外天保銭岩志水産株式会社(以下訴外会社という。)が振出した別紙約束手形目録記載の約束手形五通(以下本件約束手形という。)を所持している。
二、被告岩志一郎は訴外会社の代表取締役として、原告との水産物等売買取引に基き、原告あてに本件約束手形を振出した。
三、原告はその所持する本件約束手形をそれぞれの満期日に支払場所に呈示したが、いずれも支払を拒絶された。
四、被告岩志一郎は訴外会社の職務を行なうにあたり本件約束手形を振出したが、本件約束手形の振出につき、悪意または重大な過失がある。すなわち、訴外会社は札幌市中央卸売市場水産物についての仲介業を営み、水産物およびその加工品等の販売を営業目的とする資本金一、〇〇〇万円の岩志一族のいわゆる同族会社であつたが、本件約束手形の振出された昭和四九年二月から四月ころには二億円以上の債務を負担し、破産状態になつた。被告岩志一郎は訴外会社の資産状態を知悉し、本件約束手形金について各満期にその支払資金を調達できないことを予見しながら、悪意をもつて本件約束手形を振出した。仮に被告岩志一郎が不注意によつて右のとおり予見しなかつたとすれば、重大な過失がある。また、被告岩志和子は訴外会社の取締役として代表取締役である被告岩志一郎の業務執行に際しての右任務懈怠を看過して抑止しなかつたのは、取締役としての任務を怠つたもので重大な過失があるというべきである。
三、訴外会社は、昭和四九年四月二三日手形不渡りを出して、それを契機として総額五億円以上の負債を残して倒産し、財産的価値を有する資産はすべて銀行等の金融機関の担保に供されていて、他に見るべき財産はない状態なので、その結果原告はその所持する本件約束手形についてその支払いを受ける見込みはない。
したがつて、原告は本件約束手形金九、二一七、七二〇円相当の損害を被つた。
六、よつて、被告らは商法二六六条ノ三第一項に基づき、原告の被つた損害を賠償する責任があるから、原告は被告らに対し本件手形金に相当する損害金のうち、金五五〇万円およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四九年一〇月一六日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する認否)
一、請求原因第一項を認める。
二、同第二項のうち、被告岩志一郎が訴外会社代表取締役として本件約束手形を原告あてに振出したことは認めるが、本件約束手形が原告との水産物等の売買取引に基づいて振出されたとの事実を否認する。
三、同第三項の事実を認める。
四、同第四項のうち、被告岩志一郎、同岩志和子の地位、訴外会社の業務、本件約束手形が振出されたころ、訴外会社が二億円以上の債務を負担していた事実を認めるが、その余の事実を否認する。
被告岩志和子は非常勤の取締役であるが、取締役会開催の通知を受けたことがなく、従つて、取締役会に出席し、訴外会社から業務の報告を受けたこともなく、その報酬を受けたこともない。
かような事情であるから、本件約束手形振出について、被告岩志和子には重大な過失によるにもせよ、任務懈怠の責任を問えない。
五、同第五項の事実については否認
(抗弁)
本件約束手形は昭和四八年三月ごろから訴外会社と原告との間で交換された融通手形が順次交換されてきたもので、商品代金の決済のために振出されたものではない、原告は訴外会社に本件約束手形金を請求できず、したがつて、この手形金請求にかわる原告の損害賠償も請求しえないのである。
(抗弁に対する認否)
本件約束手形が融通手形であつたことは認める。
(再抗弁)
本件約束手形はいずれも融通手形であつたが、原告が振出した訴外会社あての手形はいずれも次のとおり、その支払を了しているのであるから、原告所持の本件約束手形についてはその振出人たる右訴外会社はその受取人たる原告に対し融通手形の抗弁をもつて対抗し得ないものである。すなわち、
(一) 約束手形目録(四)記載の手形の取得経緯は次のとおりである。
原告は訴外会社から昭和四九年一月二四日鯨肉小切六〇〇ケース@四、〇〇〇円を二四〇万円で仕入れる約定で、昭和四九年四月一八日支払期日、金額一二九万八、〇〇〇円、昭和四九年四月一五日支払期日、金額一一〇万二、〇〇〇円の約束手形二通を振出したところ、右鯨肉はすでに他へ二重売りされていることが判明したので、右手形の返却を求めたが、右手形は既に他へ譲渡されていたのでやむを得ず昭和四九年二月二〇日訴外会社振出の(イ)昭和四九年四月一六日支払期日、金額一一八万二、三〇〇円ならびに(ロ)前同日支払期日、金額一二一万七、七〇〇円の約束手形二通を受領したのである。
右手形のうち(イ)手形については同年四月一二日七七万円、同年同月一六日三〇万円の支払を受けたが、(ロ)手形については同年同月一六日原告の振出した同年六月二五日支払期日、金額一二一万七、七〇〇円の手形と交換に手形目録(四)記載の手形を右訴外会社から取得し、訴外会社は原告振出の右手形の譲渡資金をもつて(ロ)手形代金を支払つたものである。原告振出の右手形は期日後支払を了している。
(二) 約束手形目録記載(一)ないし(三)および(五)の手形は被告岩志一郎の懇請により左記のようにいずれも手形金額同額の約束手形を原告へ振出して渡したその見返りとして訴外会社から取得したものである。原告振出の右約束手形はいずれも全額支払を了しているものである。
原告所持手形
(訴外会社振出)
原告振出手形
支払期日
支払銀行
目録 (一)
四九、四、二五
道央信用金庫
〃 (二)
四九、六、一五
同上
〃 (三)
四九、四、一八
同上
〃 (五)
四九、六、三〇
同上
(再抗弁に対する認否)
再抗弁事実のうち、約束手形目録(五)記載の手形と交換に原告が振出した手形が支払われたことを否認するが、その他の事実はすべて認める。
第三 証拠<略>
理由
一原告の被告岩志一郎に対する請求についての判断
(請求原因について)
(1) 被告岩志一郎が訴外会社の代表取締役であつたこと、同被告が訴外会社の代表取締役として原告あて本件約束手形を振出したこと、原告がその所持する本件約束手形をそれぞれの満期日に支払場所に呈示したが、いずれも支払を拒絶されたこと、および原告が現に本件約束手形の所持人であることについては当事者間に争いがない。
(2) そこで、被告岩志一郎が本件約束手形の振出につき、悪意または重大な過失があつたかどうかについて検討する。
訴外会社が札幌市中央卸売市場において、水産物の仲介業を営み、水産物およびその加工品等の販売を営業目的とする資本金一、〇〇〇万円の岩志一族のいわゆる同族会社であることについては当事者間に争いがない。
<証拠>によると、訴外会社は昭和四八年三月をもつて終了する事業年度で六、三〇七万六、〇〇〇円の、昭和四九年三月をもつて終了する事業年度(以下、四八年度と称する。)で、一億一、七八四万九、〇〇〇円の欠損が生じたが、訴外会社の減価償却資産は少なく、その減価償却額が僅かであつたので、右欠損金の合計額一億八、〇九二万五、〇〇〇円を訴外会社の経常資金収支の支出超過額とみなしうること、昭和四八年度の資金収支の状況をみると、昭和四八年八月から一〇月までの三ヶ月間に、少くとも七、三〇〇万円もの多額の資金が流出し、実質的にこの時点で資金破綻の状態にあつたこと、訴外会社の昭和四九年三月三一日作成の貸借対照表によると弁済すべき流動負債は合計四億三、四〇九万二、〇〇〇円であるのに対し、流動資産は一億九、六八三万六、〇〇〇円にすぎないが、しかもこの流動資産のうち未収金一億二、一〇〇万九、〇〇〇円は過去一年間ほとんど回収されていないものであるから、弁済資金に充当しうる流動資産は、この未収入金をさらに控除したものになり、流動資産をもつてしては流動負債を弁済することは到底できない状態であつたこと、また、右貸借対照表によると訴外会社の昭和四九年三月三一日現在の債務超過額は一億七、〇九二万六、〇〇〇円であり、しかも、被告岩志一郎の個人資産をも含めて担保となる資産はほとんどなくなつていたので、長期安定資金を金融機関から融資を受けることはほとんどできない状態であつたこと、資金逼迫した状態では、資金繰の管理に必要な手形記入帳への記録は、詳細にしなければならないにもかかわらず、訴外会社は受取手形の記帳を昭和四八年一一月二日まで、支払手形の記帳は昭和四九年二月五日までしかしていないこと、が認められ、他にこの認定を動かすに足る証拠はない。
以上認定した事実によると、訴外会社が本件約束手形を振出したころは、慢性的な債務超過の状態にあつたばかりではなく、資金管理を実質的に放棄していたものとみられ、しかも、本件約束手形を振出して間もない昭和四九年四月二三日には不渡手形を出して倒産している(この事実については当事者間に争いがない。)点を参酌するならば、すでにその支払の見込みもなかつたこと明らかである。
一方、被告岩志一郎の本人尋問の結果によると、同被告は訴外会社の代表取締役として同会社の経営を現実に管理しその資産状況を熟知していたことが認められるから、同被告は支払の見込みのないことを知りながら、あえて、本件約束手形を提出したものと認めることができ、これは取締役としての訴外会社に対する善良な管理者としての義務並びに忠実義務を怠つたものというべきである。
(抗弁について)
原告所持の本件約束手形が融通手形であること、約束手形目録(一)ないし(四)記載の手形と交換に被告あてに原告が振出した手形がすでに被告に対し支払われていること、については当事者間に争いがない。
証人泰野利雄の証言および原告代表者の尋問の結果によると約束手形目録(五)記載の手形と交換に原告の振出した手形も支払ずみであることが認められる。
融通手形を交換した当事者間において、相互にこれを対価とする旨の合意がなされた場合、その一方が手形金の支払を了したときは、他方の融通手形の振出人は受取人に対して融通手形の抗弁を対抗できないと解すべきであるから、被告の抗弁は理由がない。
(結論)
被告岩志一郎の本人尋問の結果によると、訴外会社は本件約束手形金を支払う能力のないことが認められ、原告は本件約束手形金九、二一七、七二〇円相当の損害を被つたものということができる。
そうすると、被告岩志一郎は商法二六六条の三、第一項に基づく損害賠償として右損害金の内金である金五五〇万円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四九年一〇月一六日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
二原告の被告岩志和子に対する請求についての判断
被告岩志和子が訴外会社の取締役であることについては当事者間に争いがない。被告岩志一郎の本人尋問の結果によれば、被告岩志和子は、昭和四八年六、七月ころ、取締役の数が不足したので、取締役に就任したが、就任後、訴外会社が、取締役会を開いたことはなく、また同被告も同会社の業務に実際にたずさわつたことはなく、本件約束手形の振出にも関与していなかつたことが認められる。
ところで、現行商法上代表権限を有しない取締役は、取締役会の構成員として同会を通じて代表取締役の業務執行に対する監督の義務を負うだけでなく、取締役会に上程されない事項についても、自ら同会に付議するなどして代表取締役を監視する義務があるというべきである。
しかし、代表取締役の業務すべてについてその監督権限を行使することは事実上不可能であるから、代表取締役の任務違反行為のすべてにつき、取締役が監視義務違背の責任を問われるわけではなく、取締役会に上程されない事項については代表取締役の業務活動の内容を知ることが可能である等の特段の事情がある場合に限つて認められると解すべきである。
これを本件についてみるに、被告岩志和子は、右認定したところによると代表取締役の個々の手形振出行為を知らず、また知るすべもなかつたというべきであるから、同被告に監督義務違背の責任を認めることは相当でない。そうすると、同被告に対する原告の請求は失当として棄却を免れない。
三以上によると、原告の被告岩志一郎に対する請求は理由があるから認容するが、被告岩志和子に対する請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。 (畔柳正義)
約束手形目録
(一) 手形番号EE四二七〇七、金額二〇〇万円、満期日昭和四九年四月二三日、振出日昭和四九年二月二三日支払地・振出地札幌市、支払場所株式会社第四銀行札幌支店、受取人原告、振出人天保銭岩志水産株式会社
(二) 手形番号EE四二七一七、振出日昭和四九年四月六日、その他の記載(一)と同一
(三) 手形番号EE四六九二六、振出日昭和四九年四月六日、その他の記載(一)と同一
(四) 手形番号EE四六九二七、金額一二一万七、七二〇円、振出日、昭和四九年四月六日、その他の記載(一)と同一
(五) 手形番号EE四六九二八、その他の記載(一)と同一